プロフィール

はじめまして。ナベです。

発信のキッカケとなる公務員時代を遡ります。

公務員時代

地元の消防署で10年間勤務。

本当は都会の消防に入りたかったが、実力不足で地元へ。

それでも私の経歴を考えると十分な結果だった。

少しは親孝行ができたのかもしれない。

ただ、公務員を選んだ理由は今考えるとしょうもないものだ。

  • ブラック企業の二の舞いになりたくない
  • 当時の彼女との約束

当時はプライベート第一優先で、休みのないブラック企業にうんざり。

友人や彼女と遊ぶ時間がなく苦痛に感じていた。

しかし、社会人になると休みに関係なく段々と疎遠になるものである。

友人は大切だが、年に1、2回しか会わない関係に執着する必要はない。

再開したとき、そのときだけ楽しめばいいのだ。

身近にいる人を大切にする方がよっぽど大事だと気付くのに時間がかかった。

当時の彼女に至っては論外。

大学の後輩で卒業後にまた一緒になる約束をしていた。

結局、地元へ戻って3ヶ月くらいで振られてしまった。

消防学校の中庭でたった一本の電話で振られてしまった。

というわけで、消防に対するモチベーションはない。

消防学校では元々の不器用さも加わりミスを連発。

消防署に配属されてからは2ヶ月で肩を脱臼。靭帯損傷。戦線離脱。

しかも、脱臼した理由が懸垂1回目なのだから自分でもガッカリしてしまう。

任された仕事は職場の飯作り。

「俺はなにをやってるんだ」と繰り返し思った。

そんな調子なので死ぬほど怒られたのは言うまでもない。

肩が完治しても現場能力は悲惨なものだったので、さぞかし当時の上司にはガッカリされただろう。

今でも当時の上司を見ると緊張で全身から汗が吹き出して上手く喋ることができない。

当時は本当に申し訳ございませんでした。

最初の2〜3年はほとんど記憶にない。

それでも不器用なりにも慣れていくもので少しずつ任される仕事は増えた。

救急・救助・予防・機関員と一通りのスキルを身につけることができた。

その中で一番縁のある救急の道へ進むことになる。

約半年間の東京での研修を経て、救急救命士という国家資格まで取得させていただいた。

この半年間は仲間に恵まれ人生で最高の日々だった。

救急救命士は救急車の中心人物となる資格で、注射や薬剤投与ができるようになる。

そのぶん責任も重すぎるが、やりがいのある仕事だった。

自損、殺害、労災…普通に生きていても経験できないことをさせていただいた。

毎日のように出動し、他人の家に入った数で言えば、上位1%くらいにはなるんじゃなかろうか。

昇任試験も運良く突破し、隊長までやらせていただいた。

また、消防ではなによりも良い上司にも巡り合うことができたのが一番の財産でプライベートまでお世話になった。

本当に信頼できる人でいつか恩返ししたいと思っている。

振り返るとなんやかんや恵まれた公務員時代だった。

それでも毎日辞めたいと思っていた

紆余曲折しながらも恵まれた公務員時代であったが、それでも辞めたいという気持ちが消えることはなかった。

これは10年間毎日思っていた。

大げさに聞こえるかもしれないが本当だ。

誰にも言ってないし言えなかった。

最初に断っておくが、辞めたいと思う原因は自分以外の何者でもない。

組織を批判したい気持ちは1ミリもない。

すべて自分の問題なのでできれば最後まで読んでいただき変な誤解をしないでほしい。

前述の通り、志望動機に仕事内容は1ミリも入っていない。

モチベーションのない仕事は苦痛だった。

職場にとっても迷惑な存在だっただろう。

実際、最初の5年くらいは叱咤、叱咤、叱咤。

毎日辞めたかった。

4年目は特にキツかった。

予防という法律関係の担当をしながら救急車に乗りつつ、職場の飯を作り、昇任試験も控えていた。

明らかにキャパオーバーだった。

24時間勤務の中で休憩2回と仮眠時間が6時間あるわけだが、休めるわけもなく深夜3:00に就寝できればいい方だった。

仮眠できても結局救急出動するので完徹する日の方が多い。

ここまで来ると、むしろ寝ない方が精神的によかった。

ようやく寝れたと思っても指令が鳴ると心臓はバクバクするし、頭はフワフワする。

イライラもするし、更に上司に怒られるしで死にたくなることもあった。

結果、救急車を2回ぶつけたのは一生忘れない。

その時は意地になっていた。

とにかく仕事をして「俺やってるぜ感」を出すことが美学に感じていた。

変なプライドがあったのは間違いないが、毎日襲ってくる辞めたいという気持ちを紛らわすために抵抗っていたんだと思う。

自分に少しでも愛嬌があればよかったが、反発もするし、変なところができたりして随分と上司を困らせたと思う。

客観的に見るとクソガキ。

消防生活の半分以上は他責思考でとにかく自分が不幸だと感じていた。

少しずつ運命が変わったのは7年目。

救急隊員としての実力もそこそこついてきて、仕事も絞れてきて周りも見えるようになった。

自分のペースで仕事ができるようになった。

人間関係も上向きで消防で一番前向きな時期だった。

心の底では辞めたいと思っているものの、少し仕事が面白いと思うようになってきた。

でも、同時に現実が見えてきてしまった。

自分には尊敬できる上司がいないことに気付いた。

人として好きな上司はいたが、自分がなりたい上司が1人もいなかった。

また、この頃からパワハラが問題視されるようになってきた。

士気が下がっているのは明白で、言いたいことが言えない職場になってきているのを肌で感じた。

コロナも重なり飲み会がないのはもちろんで、コミュニケーションが希薄な職場になってきた。

部下への指導体制も脆弱になり、組織の弱体化を感じた。

批判を覚悟で言うが、ある程度理不尽も許容できる厳しさのない消防は衰退する。

傷病者の前に部下の気持ちを考えなければならない感じになりつつあったし、今後もそれは加速すると思う。

現場でいちいち「これお願いしていいかな?」なんて回りくどく言っていたら、目の前の人は死んでしまう。

だからできる人が勝手にやった方が早いし、更に忙しくなって疲弊していく負のループに陥る未来が見えた。

仕事は充実してきたが、このまま続けた先にあるのは、今の上司と同じやりたくない仕事をして、給料も決まっていて制限も多い。

更に部下の育成に携わる難しいポジションになる。

ゴリゴリの時代に消防に入って、責任のある立場になったと思えば、組織の弱体化を止めるために従事しなければならないと細胞レベルで感じた。

自分にはできないと思った。

考え方は人それぞれなので、あくまで自分の場合はそう感じたというのが大前提だ。

ただ、この頃には人のせいにするのはやめていた。

今の人生は全て自分の選択であると理解していた。

これまでは「自分は不幸で辞めたい」

それが「自分で自分を変えるため辞めたい」になっていた。

公務員でも始められる副業を調べてみたり、試しにブログやYouTube、デイトレードをやってみたりした。

本やYouTubeで自己啓発も勉強した。

でも、辞めたいという気持ちだけで一歩前に踏み出すことが中々できずにいた。

退職に本当に必要だったこと

辞めるための勉強は毎日のようにやっていた。

社会人になって初めて感じるイキイキした気持ち。

閉ざしていた自分の可能性がまたパッと開いた感じがした。

退職後を考えるのはワクワクしたし、そのための勉強も楽しかった。

自分が周りよりできるようになったような気がして得意げになっていた。

辞めたい気持ちが強いエネルギーを生んでいた。

しかし、行動とは裏腹に辞めることが中々できずにいた。

勉強している自分がゴールだったからだ。

周りとは違うことをしている自分。毎日成長していると感じていた。

実際は意識高い系のノウハウコレクター。

約2年が過ぎた頃、先に退職していた元同僚と出会う。

「一緒に事業をやらないか」

「やりましょう。必ず1年後に辞めます。」

一日で辞めることが確定した。

結局のところ、辞めるために背中を押してほしかったのだ。

運命が動き出した。

やることが決まると、残り1年で何ができるか実践ベースで考えられるようになった。

自分の場合は転職ではなく、独立なので少しわけが違う。

しかも一番忙しい部署だったので、とにかく時間が欲しかった。

一番最初にやったのは無駄の省き方。

時短になりそうなことはとにかく試して、考え方も忖度せずに本当に意味のあることだけを考えた。

まあ、元々忖度する性格ではないのだが。

お金も必要だった。お金はあればあるだけいいので、節約に力を入れた。

職場では相当異質な存在だったと思う。

一方で興味を示してくれる人も一定数いた。

不思議なことになぜか仕事は更に充実してくる。

人間関係も良好になり、これまで後輩や部下というものがどうも苦手だったのだが、仲良くできるようになった。

仕事で手を抜くことはなく、辞める最後の一日まで職務は全うしたつもりだ。

 

発信への思い

ここまで長い文章を読んでいただき感謝します。

ここから本題。

発信の理由は

自分なりの合理的な考え方を共有して、自立している人と爽やかな関係を築きたいから。

本当は「仕事に悩んでいる人の支えになりたい」なんてカッコいいことを言えればよかったのだが、そんなできた人間ではない。

公務員時代の一番の学びは「ストレスの積み重ねが自分を変える原動力になる」ということで、まだまだ未熟だが自分なりに行動はしてきたつもりだ。

行動するほど社会の仕組みがわかってきて、自己解決能力がついたのを感じた。

「公務員を辞めてもなんとかるじゃん」と思えるようになり、気持ちが楽になった。

不幸なことを人のせいにしなくなった。

「なんとでもなる」という気持ちから、苦手な人に忖度しなくてもよくなった。

一方で、尖っている考え方でもあるので多くの方には理解されないと思っている。

自分をもっとスキルアップさせて、いろんな生き方をしてみたい。

知らない世界を知ることに喜びを感じている。現状維持したくない。

もっと学びたいから時間が必要で効率的なことばかり考えるし、この生活を維持していくためにはお金が必要だし、前に進んでいくためには必要な情報を選別しなければならない。

要は、本当に自分に必要なことはなにかを考える合理的思考になる必要がある。

効率的なことばかりやってると冷たい人間だと思われるだろうし、お金の話は日本では嫌なイメージを持たれるだろう。自分に必要な情報ばかり集めているとつまらない人間だと思われるだろう。

でもそれでもいい。

自分がまともな人間だと思わないし、今の生き方が清々しい。

より高めていけるように、自分が実践してきた学びを表現して共感できる人に出会いたいと思っている。

自分の考えは少数派だと思うが、共感してくれる人は、少なくとも自分をより良く変えようとしている人だと信じている。

そういう人と繋がり、更に学んでいきたい。

同じ価値観を持った人と関わることができたら、どんなに爽やかだろうか。

本業もあるが、時間の許す限り発信に注力していくつもりだ。